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遺書と云う名の声明文 〜ヤブキタカユキ COLUMN〜

これは遺書だ。
いや、死ぬわけではない。

厳密に言うと、自分自身が発する全ての事がやがて遺書となる。
つまり、全ての事柄が遺作となると言う事でもある。

明日死ぬかもしれないし、100年生きるかもしれない。
一日を無駄に使っても、大切につかってもいい。

全てが遺書であり、そして
全てが声明文である。


この2009年は本当に短く感じた。
37年生きてきた中でも、最も早く感じた一年だった。

早く感じたからと言って、けっして何もなかった訳ではない。
色々な場所を訪れ、様々な人達との出会いもあった。


実は、2008年夏から自らの音楽活動以外に、主に映像を中心に制作展開する
プロダクションを立ち上げた。

それ以前から映像に関わる仕事、イベントに関係する仕事に携わりながら
将来自分自身の到達する場所を模索し、様々な人に導かれながら
音楽活動と並行して行ってきた。


20代の頃経験した様々な事を30代初頭で挑戦するも、
自分自身に圧倒的に足りないものがあると感じざるを得なかった。

紆余曲折あって、
その当時縁あって様々な事を経験させてもらえる機会があった。
経験をする事で、これまで意識する事が少なかった、
40代50代のビジョンを明確にしたくなる自分が現れた。

突飛な発想ではなく、これまで経験した事を出来るだけフィードバックし、
且つ、仲間と協力しあい自分自身の理想の追求がしたくなったのである。

音楽を作り出す事は20年やってきた。
その中で学んだ事が今の自分の全てかもしれない。
そして、様々な人と出会い、別れてきたことも今の自分の全てだ。

思い描く理想を追求するには、音楽は切っても切れない存在である。
だからこそ、自分自身が音楽を作り出す事以外の方法もあるはずだ。

いい意味で、音楽を生活に落とし込み、いわゆる公私混同したらどうなるか。
それでやっていけるのか。
全ての答えはわかるはずがない。ならばやってみるべきだ。

自問自答した結果、
「音楽の素晴らしさを一人でも多くに伝えたい」と言う単純な考えに至った。

今の自分は、普段どおりの速度で365日を進んだって意味がない。
通常の3倍ぐらいが丁度いいと思っている。
が、時に普段の半分だったり、3分の1だったりする。

だが、とにかく突き進んで、
3年後の40歳の誕生日に少しだけふりかえってみたい。

その時点で、自分自身の理想の追求を出来ているのかを。

満身創痍は覚悟のうえだ。

どれだけの音楽、どれだけの作品、どれだけの仕事が出来るかわからない。
自分自身のテーマに沿って、その都度突破出来たらと思う。

何年後かにこれを読んだ人達に恥じないように、
自分自身にも言い聞かせてみるのである。

そして、なによりこれをあなたに捧げたい。

遺書と云う名の声明文として。




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