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嗚呼、音楽人生! 〜ヤブキタカユキ COLUMN〜

ここらへんで一度、なぜ俺が音楽をやるようになったかを詳しく書いてみようと思います。

思えば、小学生の時から音楽が好きな子供だった気がします。
今でこそネットで調べる事が出来て簡単に分かる様になったのですが、当時の俺が夢中だった事は、CMに流れている曲をキャッチアップするということ。
家にビデオもなかった時代に、一瞬しかながれないアーティストのテロップを書き留めてレコード屋に探しに行って買ってたっけ。

それこそ、今ならばレコ屋に行けばポップが貼ってあって、ご丁寧に『○○のCMタイアップソング』とか書いてあるけど、当時はなかった気がする。既に売れている人は別だけど、面出しもされてなかったように思います。
音楽雑誌を見ても、まだテレビとかに出ていない、白黒ページに小さな記事にしか取り上げられていないアーティストを好むような少年だった。

そんな、ちょっとだけマニアックな作品を探しては優越感に浸っていた俺は、完全なるリスナーサイドの少年だったのだが、中学に入ってしばらくした時に『パンク』と出会った。
そこに行き着く迄に、当時仲間うちで密かに盛り上がっていた『ベストヒットUSA』の影響で洋楽を聴く様になったのだ。
※完全にアラフォー世代ですね(笑)

その頃の洋楽は俺にとって完成度が高く、決して自分自身には出来ないであろう、手の届かない音楽だった。
『産業ロック』とか『ニューミュージック』とか騒がれていた音楽の、楽曲としての感制度の高さがそう思わされたのかもしれない。
がしかし、ある時友達から『ピストルズ』を聴かされた。たしか『ミニ・アルバム』だ。その時の『サブ・ミッション』という曲のギターリフと全体の雰囲気に完全にやられてしまったのだ。
なんだか分からないが『うぉ〜』ってなったのだ(笑)しかも、自分でもなんだか出来そうな予感がした。

しかし、すぐさま音楽を始めるため楽器屋に走ったわけではなく、意外と冷静に「どのパートをやりたいんだろう?」と自問自答の悶々とした日々が続くのである。まわりの友達は勢いでドラムセットを買ってもらったり、通販でギター初心者セットを買ったりしていたっけ。

そんな、悶々としながら中学生活を終え、高校に入って一番最初に仲良くなった『多田保典』なる人物の家に遊びに行った事で事態は急速に変化をもたらすのである。
彼の部屋にギターとアンプがあり、しかももの凄くうまい事弾きやがる。
事実、ここで初めて楽器というものを身近に感じたのだ。しかも、弾かなくなったギターがあるという事で格安で売ってもらった。
※種類等は同コラム『START』を参照下さい(笑)

そこから俺の音楽人生は始まるのでした。
バンドメンバーとして中学時代の友達を引っ張り出し、スタジオで練習したり、はたまた友達の家に楽器を持ち込んで練習したりの日々が続き、小さなライヴハウスでライヴを行う様になり、完全にバンドの楽しさを知った。

当初、多田保典とは音楽の趣味が異なっていた事もあり、同じバンドで演奏することはなかった。
文化祭で一度ライヴをした程度だったと記憶している。
その後、多田保典とは一緒に東京に出てきた事もあり、2度程バンドをやったりしたが、方向性の違い(笑)もあり個々の音楽に没頭していったのだった。
彼は後に日本の90年代ハードコアシーンの伝説のバンド『GMF』のギターリストとして活躍するのである。
多田保典という男がいたから、音楽を始める事になったのはいうまでもない。
いまだに彼から買ったギターを引き続けているし、もう一本のもらったギターも大事にしている。

音楽を通じて知り合った仲間から、また音楽を通じて仲間になってゆく。

素晴らしい音楽の日々はまだまだ続くのである。


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